蔵人便り

酔仙の名付け親

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気仙酒造時代の社長、磐井篤平氏との親交から酔仙のラベルを描くことになった地元画家『佐藤華岳斎』とありますが、ラベルを描いて下さっただけでなく、『酔仙』と言う銘柄の命名もまた華岳斎ご自身によるものです。
 
華岳斎は本名を啓助といい、岩手県大船渡市盛町の小間物雑貨商、佐藤吉蔵の11子中第5番目で、明治17年3月に生まれました。
 
ちびのくせに喧嘩に強かったこと、図画が好きで店で売っている紙をあまりに使うのでよく叱られたこと、少年時代の自慢話の一つには、夏の海水浴で浜に打ち上げられた水死人をその場でスケッチし、下宿のおばさんに見せたら悲鳴をあげられたこと。
 
19歳で上京してからの青壮年期は、帝展入選から皇后宮職員買上、各国駐在日本大使館用制作、大正天皇の御前揮毫、日華親善美術家団一員としての出品等々、陽の当たる画壇の道を歩いていました。
 
お酒が大好きで、短時間に沢山召し上がらずに、時間をかけて少しずつ召し上がることを好み、酔うと、よく木曽節を微吟していました。
 
酔仙のレッテルは、晩年に描かれたもので、ああでもない、こうでもない、と20枚ほど描いたそうです。そして、自分にも納得のいく出来栄えだったと見えて『俺には大作よりもこんな小品の方が性に合うようだ』と話しておりました。
 
創立当初は『気仙(きせん)』の銘柄で出荷されておりました。勿論、当地方の気仙郡に因んだものですが、いかにも地方的であり、もう少し気のきいた銘柄がないものだろうかと、磐井社長は相談をもちかけられていたようです。
 
華岳斎は、よく磐井社長を訪ねては共に盃を傾けられたようですが、社長の奥様が二人で飲んだ一升瓶を縁側にずらり並べて『こんなに召し上がったんですよ』と見せられたら、出し方が悪いと奥様を叱られたとか、、、、。
 
そんなある夜、磐井家に泊まっていた華岳斎は夜中の二時、三時頃に突然、諸手を打つと『これだ!!酔仙だ』と。時、昭和22年某月某日。
 
(一部、『佐藤華岳斎小伝』より引用)
 

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